私が、"ねこ勉〜Cats Learning〜" で泣いてしまう理由。
崖の上のポニョ、でしたっけ、映画。
友達数名で観に行って、大号泣して。
それに近いんですけど、このねこ勉は、何回かブログに載せているのですが、
必ず泣いてしまうんです。
ポニョでは、車椅子のおばあさんたちが、楽しそうに走っている姿になるシーンがあって、もう、そこで大号泣で。
そこに、祖母の姿が重なってしまって。
私を、育ててくれて、認知症になり、私や他の家族がわからなくなり、転んで寝たきりになり。
96歳で、入院中に亡くなりました。
在宅介護で、いろんな介護サービスを受けながら、高齢の家族と介護してきました。
でも、肺炎になり、入院しました。
最期の数日間、病院の個室で酸素マスクの祖母と過ごしました。
膜がかかったみたいな、不思議な空間でした。
くらげの膜の中を走るおばあさんたちと重なってしまいました。
旧姓を名乗り、歳は25歳だと言っていました。
最期は、うっすら笑顔で、解放された顔でした。
ねこ勉の猫たちが、おじいさんを亡くして寂しくなってしまった時に、勉強してきたことを披露して、泣いていたおばあさんが笑顔になる。
「おばあちゃん」、が浮かぶ。
先代の亡くなった猫たちと暮らしてきた時代。
感傷的になってしまう。
時間に、追いつけない自分が、いる。
そうこうしているうちに、介護してきた家族が高齢になって、最期を看取れなかった遠方の家族も高齢になって、自分も歳をとって…。
私だけ、置いてけぼり、みたいな…。
でも、ねこ勉には救いがある。
私は、泣きたくなることからずっと逃げてきた。
辛い思いは、もうお腹いっぱいです、と言わんばかりに。
でも、泣いてしまうとわかって、観てしまうのは、泣きたいからなのかもしれない。
ポニョのおばあさんたちに、猫たちとおばあさんの日常に、彼女の面影を求めて。
いや、それだけじゃない。
たぶん、私は、私に、泣くことを許可したんだと思う。
泣くことで、少しずつ、何かを洗い流しているのかなぁ。
救済、赦し、それを想って泣いてしまうのかもしれない。
「作られた」動画です、でも、私にとっては「造られた」動画。
創造されてきて、動画になって、猫たちが出ているから、と何とはなく観て、泣く私。
泣いてもいい。
許可した私です。
猫たちとおばあちゃん。
すべてが愛しいです。